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おはようございます。どじょうです。
今回の記事は読書感想文です。本は読んでもOUTPUTしないと血肉にならないと色んな本に書いてありました。せっかくブログを書いているのです。本に書いてあることを自分の血肉にすることが、著者の方の望みでしょう。OUTPUTしてみたいと思います。
ある程度のネタバレが含まれること。あくまで個人の感想であること。このあたりはご容赦願います。
今回は辻村深月さんの書かれた「パッとしない子」を読んで学べたことを書いていきます。
- 選書の理由と簡単な要約
- 読み終わった後のモヤモヤ感
- あとからジワジワくる考えさせられる感
- まとめ
選書の理由と簡単な要約
選書の理由としてはkindleのお勧め小説にでてきたからです。
以前から辻村さんの作品が良くお勧めに出てきていました。恐らく私が読んでいる小説のジャンルに近い作風なのだろうな、と思っていました。その中で何となく、特に理由なくタップしてみたのがこの「パッとしない子」でした。
タイトルから中身が想像できなかったことも理由の一つです。「パッとしない子」がどうなるの?なんなの?頭の中にたくさんの「?」が出てきたことを覚えています。
ページ数も短く読みやすそうだなと思ったことも理由に挙げられます。実際読みやすく、職場を出てから家に着く前に読み終わったので、20分くらいで読み終わったんじゃないかなと思います。
簡単な要約としては「とある小学校の先生(美穂)が、かつて担任をしていた児童の兄(佑)と13年振りに会話する」というお話です。
佑は現在人気アイドルグループのメンバーの一人としてテレビで見ない日はないと言っていいくらいの活躍をしています。テレビ番組の収録で母校に訪れるという展開から美穂と再会、会話するという流れです。
場面が二転三転してハラハラするようなことはなく、途中で一度だけ空気感が思いっきり方向転換するのみです。美穂視点でのお話の展開となります。
この「途中で一度だけ空気感が思いっきり方向転換する」ということ。ここからこの作品に一気に引き込まれた感じがありましたね。
読み終わった後のモヤモヤ感
短いお話なので一気に読めるのですが、読み終わった後に何とも言えないモヤモヤ感が残りました。
「え?!こんな展開?!」「ハッピーエンド!」「まだ物語は続く!」などの類ではないです。「・・・え・・・これで終わりっスか・・・?」というモヤモヤが凄かったです。
嫌な気分になりましたし、何が言いたいか、どこに心の落としどころを見つければいいかわかりませんでした。正直読み終わった時点では駄作とさえ思ってました。(すみません。今は思ってないです。「読み終わった当時は」というだけです。)
もっとストーリーに感動したり、登場人物に共感や憧れたり。なにかしら心に響く、刺さるものが欲しいと思ってしましました。
でも違ったんです。多分そういうジャンルの小説じゃないんです。作者の意図として、モヤモヤ感は残したくて残したんだと思いました。
あとからジワジワくる考えさせられる感
読み終わってもモヤモヤモヤモヤしてたので心が落ち着かなかったんでしょうね。暫くの間この作品のことがずっと頭に残ってました。
そして何がきっかけかは解らないのですが、急に「この作品は”言った人と言われた人の解釈のズレ”を書きたかったのかもしれない。」と思いました。そうするとモヤモヤは晴れていき、むしろもっと深く考えるようになっていきました。
何気なく悪意なく発言したことでも、言われた人は傷つくなんてことあったりしますよね。
それは言った人の意図が上手く伝わらず誤解を招くパターンや、言われた側の精神状況的に受け入れられない事だったり、様々な要因があると思います。
本人のいない場での発言を伝聞した場合もそうですね。伝言ゲームになっていくうちに段々と内容が変わってしまう。言ってないことが言ったことになってしまっている。記憶違いによりズレていく。なんてことはよくあることかと思います。
そのズレの一つ一つは大したことないもの、すぐに本人に確認とれば解決することもあるでしょう。しかしその小さなズレの一つ一つが集合体となり、取り返しのつかないほど大きなものになってしまったとき、「パッとしない子」で描かれている世界観が生まれてしまうのでしょう。
作者の意図が本当にここにあるかは解りませんが、私はそう感じました。
この「言った人と言われた人の解釈のズレ」を感じたときに色んなことが怖くなりました。
例えばこどもが悪いことをして注意をするとして。それがこどものためと思っての発言であっても、こどもが違うように解釈していたら・・・と思うととても怖いです。
というか、恐らく私は親の発言をズレた解釈をして生きてきたと思う、という自覚があります。こども時代はそんなこと気が付いていませんし、当時の気持ちや言動を変えることもできません。なので今更どうこう言うことはありません。
ただ、私の発言をこども達がどう解釈しているのか。ズレがあるのかないのか。ズレているのであれば修正可能なズレなのか。そのズレに気が付くことはできるのか。
ずっと考えさせられています。
まとめ
要約としては「とある小学校の先生(美穂)が、かつて担任をしていた児童の兄(佑)と13年振りに会話する」というお話ですが、読み終わったあともの凄くモヤモヤして、そのあと深く深く考えさせられる、考えさせられ続ける作品でした。
子育て中の方や、SNSで発信している人なんかには心に刺さる内容なんじゃないかなと思いました。アンチコメントされてる方なんて特に。
私はインターネットの発信はこの「どじょうブログ」でしかしてませんが、世の中にはSNSでコメントするのが好きな方が大勢いらっしゃいますよね。理解できませんが、アンチコメントをストレス発散としてされている方もいると聞きます。
基本的には好きにすればいいと思っていますが、その何気ない発言が巡り巡って取り返しのつかないことになってしまう可能性を忘れないでほしいなと思います。それと、自分も改めて気を引き締めたうえでブログ発信をしていきたいなと思いました。
今回の記事は辻村深月さんの書かれた「パッとしない子」を読んで学べたことでした。ご興味持たれた方は是非一度手に取ってお読みいただければと思います。下にリンクを貼っておきます。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。